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ミンナ大好き○○の末路 2020年からアーリーリタイアはじめました

最終回を迎えた仮面ライダーゼロワンは無個性な物語だった

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 最終回を迎えた仮面ライダーゼロワンは無個性な物語だったとも言えるかもしれません

 それは人工知能の造反という古典SF的なストーリーラインという事だけではなく、

「主人公はミンナを笑顔にしたいがモットーで……」「ああ、クウガっぽいね」

「会社の社長で……」「ああ、エグゼイドにも社長ライダーいたね」  

「ベルトにメモリーを差して変身……」「ああ、Wっぽいね」

 「モチーフはバッタで……」「ああ、伝統だね」

「必殺技が画面に文字でバーンと……」「ああ、響鬼っぽいね」

「女性技術者の上長と青い男性ライダーの対策組織が……」「ああ、アギトっぽいね」

「敵は人間の悪意をプログラムされたアンドロイド……」「ああ、ドライブっぽいね」

「最終回で映画に続くみたいな……」「ああ、ディケイドっぽいね」

 と、くどいのでいちいち全部書き出しませんが、要素を切り取るとほとんどが過去の仮面ライダーに合致するが故に無個性なのです。最終4話の流れすらも『聖なる泉枯れ果てし時 凄まじき戦士雷の如く出で 太陽は闇に葬られん』ルートで最後は同じモノに成り果てたもの同士が変身が解けてまでも殴り合うという仮面ライダークウガを連想します

 過去にもテーマやモチーフのダブりはありましたが、ここまでオマージュも含め仮面ライダー総決算なのは意図的なのだろう思われます。それは最終回のセリフ「俺たち仮面ライダーだろ」に集約されます。ゼロワンでは映画を含めて度々登場人物達が「仮面ライダーとは何ぞや」を語ってきましたが、平成ライダーという括りが終わった事で令和初の仮面ライダーとして仮面ライダーの総括と再定義を図っているように思われます。まあ、平成ライダーの大トリを務めた前作仮面ライダージオウではTV本編ではなく夏の映画ですが「平成ライダーはみんなちがってみんないい」と総括し、慣習や概念に縛られない仮面ライダーの自由と平和を守ったばかりだったのですが……

 ゼロワンが再定義した仮面ライダーとは最終回エピローグの刃のセリフが全てでしょう「心の自由は尊重されなければならない。互いの垣根を越えて自由の為に戦う限りオマエ達は仮面ライダーだ」。つまり変身しようがしまいが、心の自由の為に戦う者は皆仮面ライダーなんだという事なんだと思います。言葉面としては素晴らしいんですが、イマイチ腑に落ちない感じがします。この番組においてしばしばおこなわれた論点のすり替えが、最終決戦において「悪意」が「怒り」にすり替わってしまったが為に何かモヤっとするんですよね。誰にでもある「悪意」すらも「心の自由」として尊重しようという話だったんだと思うんですが、それが「怒り」にすり替わったが為に今回はたまたまカッとなってやらかしたものの「怒り」が冷めたら反省できる二者のぶつかり合ったから収まっただけで、「悪意」は「怒り」とはまったく違い飽きる事はあっても冷めないし悪びれないし省みず責任もとらないというのはこのSNS時代に可視化されています。「悪意」さえも「心の自由」として「自由の為に戦う者は皆仮面ライダー」という定義は、言い換えれば「みんなライダーなんだよ」です。それは「ああ、龍騎っぽいね」とやはり新しい答えではなく過去の踏襲となり、総括が故に無個性な物語だったなと思うのです

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