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ミンナ大好き○○の末路 2020年からアーリーリタイアはじめました

鳥山明先生がトリさだった頃

確かまだ小学館学年誌と学研の配達本とてれびくんぐらいでしか漫画が読めない年齢の時に父親が「スゴイ面白い漫画がある」とDr.スランプの2巻をいきなり渡されたのが鳥山作品との出会いでした。その後アニメ化され大ブレイクして尾張地方の片田舎のネットワークの凄さで「あの辺に住んどるんやと」と何町も離れてるのに特定され、作中にもやたら本人が登場する作風だった事もあり、小学生達の間では鳥山明先生ではなく近所の変なお兄ちゃんトリさ扱いだったバグった地元距離感の頃から、鳥山明という天才がなぜこの地元から一歩も動かずに世界へ羽ばたけたかという勝手な憶測をしていきます

 

鳥山明先生は古いインタビューで「名古屋のはじっこ」に住んでいるとおっしゃってますが、住んでいたのは名古屋市でなく清洲市(当時は清洲町)です。地図上では随分近いですし、実際JRで清洲駅から名古屋駅までは10分程でなので間違いではないと他地域の方は思うでしょうが、愛知県民が自分の住んでるトコロを説明する時、結局伝わらないのでもう面倒になって「名古屋の近く」とか「名古屋の下」とか言うのは常套句です

 

そしして清洲町が名古屋では断じてないという決定的な障害が、名古屋と田舎を隔てる庄内川(青い線)です

 

これは現在の航空写真ですが、建物の密集した庄内川を挟んだ上はやたら緑色なのが分かると思います。これは田んぼや畑です。今でこそ建物が名古屋寄りは密集してますが鳥山先生が生まれ青春をすごした60年程前はマジで田んぼしかない田舎です。今よりも残酷なほどに庄内川によって都会と田舎が明確に区切られていました

 

そもそも清須市清洲城が復元されたのは平成元年でそれ以降信長推しで観光に力をいれてますが、それ以前は遊ぶ場所もないので知り合いでもいないかぎり行く用事がない、クルマで名古屋に行くのに22号線が整備される前に使われていた旧道(黄色い線)と呼ばれる国道を走って通り過ぎるだけの町というのが、さらに辺境の田舎民の認識でした

 

そんな田んぼという砂漠の星に住んでいたスターウォーズエピソード4のルークスカイウォーカー状態の鳥山明先生がそこまで地元に居座り続けられたのには3つの理由があったと思われます

一つ目はは前出の「名古屋」という都会島への容易なアクセス圏内であった事。これにより田舎に住みながらも新しいモノに触れる事ができたのでしょう

 

二つ目は母校「県立一宮起工業高等学校(現:県立一宮起工科高等学校)」

尾張の大都市「一宮」を冠してますが、当時は今は亡き「尾西市」に建ってたという、東京ディズニーランド東京ドイツ村方式のネーミングの学校でした。要は愛知県の端っこの端っこ。木曽川を渡れば岐阜県という辺境の田舎です。しかし、当時この地は織物産業の一大拠点でお金を持っている田舎だったからこそ教育にも力が注がれていたのです。織物産業が斜陽と化した時代でも、尾西はお金があるから給食が一宮より豪華、修学旅行は一宮は三重県伊勢だけど尾西はお金があるから京都奈良みたいに言われるぐらいでした

 

地図上の距離では名古屋よりも全然遠いですが、実はJR清洲駅から尾張一宮駅までは10分程と名古屋に行くのと時間がかわらないというバグが発生しています。そして一宮駅からバスでさらに15分。この距離に県立の授業料でデザイン科のある学校があったのは大きかったと思われます

 

ちなみに学校の立地は一宮市に吸収される前のまだ織物産業が潤ってた頃の「尾西市」の市役所(緑丸)が建つ中心街で、現在平和堂(赤丸)になってる場所には当時のこの辺りの建物としては珍しい6~7階建てで屋上に遊園地まであった「タマコシ」という地方百貨店があったり、城型のセンキ(紫丸)というデカいおもちゃ屋あったり、木曽川で夏には花火大会があったりと、漫画同好会をつくってまで学校に遅くまで残りたくなるかもしれない施設やイベントが充実した田舎の中の町の学校だったのです。まぁ、実際は自転車がないと周りで遊ぶには結構キビしいのですが

 

そして、三つめは「名古屋空港」。東京との原稿のやり取りで飛行機を使っていたのが有名になるあまり、鳥山明先生の家から空港まで専用の道が作られたという都市伝説が生まれる程でした。しかし、地図をみればわかるようにそもそも清須市名古屋空港はそんな道路が必要ないほど近距離なのです(セントレアに移監し現在は名古屋飛行場(黄色丸)になってますが、当時は名古屋空港でした)

 

清洲駅から見当でだいたい30分。名古屋走りならほぼ20分です。ちなみに現在のセントレア清洲から行こうとするとクルマでも電車でも1時間半から2時間かかります

 

以上のように

1.大都市

2.学校

3.空港

という3つのインフラが30分圏内に揃っていた。このおかげでネットも発達していない時代から上京もせず地元に居座り続けられたんじゃあないですかね?

これだけ居続けた地元なんですから、まだこっそりといるんじゃないですかね?