Down World

ミンナ大好き○○の末路 2020年からアーリーリタイアはじめました

『作者の気持ちを答えよ』ってテストに怒るあのヒト

そしてまもなく私は、うっとうしかった一日とあすも陰気な日であろうという見通しとにうちひしがれて、機械的に、一さじの紅茶、私がマドレーヌの一きれをやわらかく溶かしておいた紅茶を、唇にもっていった。しかし、お菓子のかけらのまじった一口の紅茶が、口蓋にふれた瞬間に、私は身ぶるいした、私のなかに起こっている異常なことに気がついて。すばらしい快感が私を襲ったのであった、孤立した、原因のわからない快感である。その快感は、たちまち私に人生の転変を無縁のものにし、人生の災厄を無害だと思わせ、人生の短さを錯覚だと感じさせたのであった、あたかも恋のはたらきとおなじように、そして何か貴重な本質で私を満たしながら、というよりも、その本質は私のなかにあるのではなくて、私そのものであった。私は自分をつまらないもの、偶発的なもの、死すべきものと感じることをすでにやめていた。一体どこから私にやってくることができたのか、この力強いよろこびは? それは紅茶とお菓子との味につながっている、しかしそんな味を無限に越えている、したがっておなじ性質のものであるはずはない、と私は感じるのであった。

                   失われた時を求めてプルースト

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 このご時世で萩の月が直で通販とはありがてぇ、ありがてぇ……

 ボクの初萩の月は大学時代。夏休みに北海道へツーリングに行く為の往復のフェリーが仙台港に寄港する隙を突いたんですが、当時はフェリー乗り場の売店に無かったので仙台市街までバスに飛び乗ってとんぼ返りするというギリギリのムーヴでしたね。家族用と自分用に6個入りを2箱買ったんですが、フェリーが帰港した時には何故か2箱とも空になっていたという……

 そもそも萩の月という名を初めて耳にしたのは中学生の頃にマイコンBASICマガジンのスーパーソフトコーナーで、ライターさんの間でブームだったのかパソコンとかゲームの雑誌なのに頻繁に話題が上がってて、何かわからんがウマそうでウマそうで、ファンロードのゲゲボツアーのマンゴープリンぐらい憧れの食べ物だったんですよね。歳を重ねるにつれ、そういう手が届かなかったモノを自力で掴む……どんどんやれる事がアンロックされて行くカンジのアイコンのひとつが萩の月だったんですよね

  その頃の話をもう少しすれば、ボクの小さな世界の風当たりは強く、例えばゲームは虚構と現実の区別がつかない犯罪者を増やすとか叩かれてました。そう言われる度に、いやそんなヤツいないだろと。ドラマの役を離れたトコロで主人公をイビる役の俳優を罵ったり、子役を虐めたりするようなヤツじゃああるまいし。オモシロCMとか漫画やアニメとかタレントや深夜ラジオのハガキ職人の作った完全な虚構に不謹慎だとか馬鹿にされたとかクレームを入れて中止や謝罪に追い込むようなヤツじゃああるまいし。今は仕方ないけど、ボクらはわかってるからそんな糞ツマラナイ事言うヤツはそのうちいなくなるだろうなと、大人になったら世界はボクらのモンだって無邪気に思ってたんですね。まあ、そんな勘違いなどあろうはずがないと速攻で気づかされるようなガッカリの連続しかなかったんですが……

 例えば超能力バトル漫画でサブリミナル効果UMAが登場したら、そんなものは現実には存在しないと証明されてるとか言って怒り出すようなのばっかりだったんですよね。オマエは超生物や超能力が出てくるような虚構に何言ってんだ?って話がサッパリ通じない。大体、虚構の……創作物のつじつまが合わない事をネタにするなんてのはくだらない遊びじゃあないですか。「くだらねぇ、ゲラゲラwww」以上の事なんてないのに、真顔で怒ってんですよ。書くと長くなるので『怒ってる』って単純に表現してますが、表面上の態度も矛先もアチコチに向いてるわけですが、まあ『怒ってる』んですよね

 そういう怒ったヒトのいる居心地の悪さはフィクションの批評のような場に限った事ではなくて、これも一例ですが『作者の気持ちを答えよ』ってテストに怒るあのヒト達。まあ山椒魚の気持ちでも、いぬのきもち・ねこのきもちでも、たまごクラブ・ひよこクラブでもいいんですが、あれも初期は「作者の気持ちなんてわかるはずねぇじゃんwww」「なぁwww」で終わる話だったはずなんですが、それが繰り返されてるうちになぜか怒ってるヒトが混ざるようになっていくんですよね。いや、何でボクらがそのネタで笑ってるかと言えば、その問題にちゃんと正しく回答して点数貰ってたからなんですよ。“わかるけど、わからねぇよなw”と。だからお互いにバカ話でしかなく怒る要素なんて無かったんですよ。ところが、どんどん怒ってるヒトが増えていく。ついにはそういうテストの在り方さえ変えてしまうほどに……

 そう、現実はことごとくあのヒトらに寄っていくんですよ。バブルが弾けてなんとか就職して、そろそろボクらが主役なんじゃあないの?って世代になっても、相変わらずあのヒト達が主役で、ボクはなぜかロスジェネとか言われて憐れまれるか、怒られる始末。実際、社会はあのヒトだらけで、なんでそんなつまらない事で怒ってんのと、さっさと怒りの元を何とかしようものなら、問題は解決したのにコッチがボコボコに殴られるハメにしかならないんですよ。明らかにソッチが間違っていても、それによって周りに迷惑がおよぼうとも、ソッチの間違った解決をしないと収まらない。とにかく一緒になって怒らないと恨まれるだけ。もう面倒くさい。全てがイチイチ面倒くさくなってのリタイアだったんだなぁと……萩の月でおセンチになってるんですよ

 世界はボクらのモノではなく、あのヒト達のモノだったなぁ……と

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